やっぱおもろい

ついさっきまで響鬼を見てました。やっぱ二十九之巻が真の最終回ですな。

今日は待望の民俗学の授業の日でした。前期は柳田國男遠野物語についてを重点的に学んでいく層なんで、今日も遠野物語についての講義でした。と言っても、遠野物語だけに限らず、そこから発展して色々な文献や伝承についても学んでいくみたいですね。今日は八章「寒戸のババ」を学びつつ、そこにある「風によってやってくるモノ」が派生した物語として宮沢賢治の「風の又三郎」も学んだりしました。遠野がある岩手県出身の宮沢賢治ですから、やはり繋がってくる部分もあるんですよね。
こういう風に色んな物語や伝承に関係性を見出していく民俗学ってものは、私にとってはやはり素晴らしく学習意欲の沸き立つ学問でありますな。次回のテーマは「蕨」だそう。これも楽しみです。

そういや先生が自分の地元に伝わる伝承として十二月八日、二月八日の所謂「事八日」に関する話をしてくれたんですが、それが「もっけ」で読んだダイマナコの話とほとんど同じだたことに一人で関心していました。先生の話を簡単に言うと「十二月と二月の八日に子供が遅くまで遊んでいると、ミカリバアサンというモノが来て攫っていってしまう」というものでして、それを除ける為にその日は玄関先に棒に吊るした籠を置いておくんだそうです。籠と言うものは一つ目の化け物に対する対処法として有名で、「もっけ」のダイマナコの話でも紹介されています。何故の籠なのかですが、なんでも籠の無数の網目が一つ目を惑わすとか網目の形が五芒星に似ているからだとか言われているようですね。私としては籠=加護を引っ掛けたんじゃないかと思っています。
さて話を戻して。ここで面白いのは、先生の話では来る災厄は既に一つ目の化け物ではなくなっているのに、ちゃんと籠に関する風習は残っているということでしょう。もともとは一つ目の化け物=厄神を払う為の風習が、ミカリバアサンなるモノを払う為のものに変わってしまったんでしょうね。こうなると、この伝承の変化の過程とか、そもそも「ミカリバアサン」って何なんだ?などの気になる疑問も出てきます。これはちょっと調べてみても面白いかもしれませんね。