原爆60年 米テネシー州で記念行事 日本人との間に溝

テネシー州オークリッジで16日、原爆開発60周年記念イベントが開かれ、マンハッタン・プロジェクトと呼ばれた原爆開発製造計画に関与した研究者らと家族約70人が参加した。参加者のほとんどが「原爆投下は戦争終結のため必要だった」と話し、「原爆」に対する日本人との溝の深さを感じさせた。

確かに原爆は戦争を終わらせた。でも、だからと言って「必要」だとは到底思えない。あんなものが作られてしまったから、つい最近まで冷戦と言う名の戦争があり、多国間でいがみ合いを生み、世界中をビクビクさせているんじゃないか。記事にある研究者たちは、こういうことを忘れて、いや、見ないようにして自分たちの行いを必死に正当化しているだけなんじゃないか?

日本の報道陣を意識したかのように、1人の女性が立ち上がり、「亡くなった父は原爆の開発をしたことに誇りを持っていました。罪の意識や後悔は感じていませんでした」と発言。大きな拍手を浴びた

核兵器を製造保管するY−12施設で働く研究者、レイ・スミスさんも、「原爆は町を破壊し、死者を出したが、恐ろしい殺し合いを終わらせた。戦争終結の役割を担ったことを誇りに思う」とまで語った

貴方たちが誇りを持つ「殺し合いを終わらせたもの」ってのは、最悪の殺し合いの道具なんだよ。いくら正当化したって、美化したって、結局は人を殺す。それでもまだ誇りが持てますか?大勢を焼いて、熔かして、今でも苦しめ続ける兵器に本当に誇りなんて持てるんですか?